氷中花



翌朝、唯は男の腕の中で目覚めた。
着やせするタイプなのか思ったよりたくましい腕だった。
腕をそっともちあげて、その下から身を起こす。

改めて顔を見ると、整った顔立ちをしていた。
長い黒いまつげが閉じられた瞳に影を落とすようだ。
彼の冷たい視線を思い出す。
他人を寄せ付けないような、何もかもを呪ったような瞳。
あのとき彼から零れ落ちた涙はとても綺麗だった。
表情は変わらないのに、あたしはあんな状態なのに
なぜか教会の天使の像を思い出していた。
ずっと泣けなかったんだろうか。

すっと通った鼻梁。指でそっとたどる。
この、薄い唇に昨夜触れたのか。
そう思うと不思議な気がした。
眺めていても仕方がない。
体中が痛んだが、自業自得だと思ってあきらめた。

男が眠っている間に支度を済ませると、唯はマンションを出た。
服は彼が洗濯機で乾燥までしてくれていた。
脱ぎ捨てられたバスローブをたたみ、唯はメモを残した。

マンションの表札には「各務」とあった。
もう来ることはないだろうけど。
唯はドアに向かって軽く一礼すると振り向くことなく家路に向かった。

雪はやんでいた。
キラキラ輝く静かな街並みが、今の唯には慰めになった。


今日から、生まれ変わろう。


男のマンションは唯の家と同じ最寄駅だったから、歩いて帰れた。
雪を踏みしめて、ひたすら歩く。
頭の中が真っ白になる。


朝帰りの唯を迎える家族は、今日いない。
姉の嫁ぎ先に挨拶するため、彼の実家のほうへ両親は行っていた。

自分の部屋のベッドへ辿り着き、やっと横になる。

(あたし・・変わらなきゃ)

でも今日だけは・・・
誰も家にいない今日だけは泣かせてほしい。
春から彼はこの家に住むはずだ。
毎日顔をあわせて、それでも笑えるように。
おねえちゃんを恨まないで過ごせるように。
この恋を忘れられるように。


『すべて、洗い流してしまえ』


男の言葉が思い出された。
「各務・・かずき?」
名前をつぶやいても実感は湧かない。
通りすがりの男だからだろうか。
止まらない涙に男の言葉を繰り返した。
呪文のように、何度も、何度も。
こんなに泣くのは、今日だけにするから・・・。

唯が男と再会するのは二ヵ月後のことである。




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あなたの隣氷中花 枯れない花星に願いを Sugar×2太陽が笑ってる


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