氷中花
6
「唯ちゃん、本当に一緒に乗って行かなくていいの?」
「うん。変な噂でもたったら面倒だし。それにうちからはそんなに遠くないしね」
「そう、じゃあ俺は会議あるから先に出るね。また学校で」
「いってらっしゃい」
入学式の日、唯は和輝に遅れること十分くらい、一人で高校に向かっていた。
去年の春休みにこの道を和輝と歩いたのが、ずいぶん昔のように感じられた。
『和輝さんは先生なのよね』
『今だって唯の先生だよ』
『そういう意味じゃないよ。教卓についてる和輝さん想像してたの』
『俺モテモテだよ。望月先生のお嫁さんになりたーいっって女生徒いっぱいいるの』
『・・・やだな』
『嘘だよ。俺は唯にだけモテモテ』
『嘘つき』
『ホント。だから絶対受かれよな』
『学校がきれいだったらがんばろうかな』
『何だよ、それ』
隣にいたのに手もつなげなかった。
あのとき前に在る高校はぴかぴかに見えていた。
今、同じ景色を一人で見ることが少し怖かった。
校門をくぐり、前庭の掲示板を見るとクラス発表が出ていた。
一年二組、担任は望月和輝。
事前に知らされていたから感慨もない。
それともショックを受けないようにという和輝なりの思いやりだったのだろうか。
新しい上履きのかかとは硬い。
いつもより速度を遅くして校舎を歩いた。
時間はだいぶ早めだったからまだ生徒の姿もまばらだ。
一年生は三階、二年生は四階、三年生は二階。
だんだん上がっていくんじゃないの?と聞いたら
受験生は最上階から落ちたら一大事でしょ
とブラックな話を聞かせてくれたのも和輝だった。
高校生活のあらゆるところで和輝の言葉が蘇るようで唯は苦笑した。
ふいに視線を感じて振り向いた。
通り過ぎて振り向いた男は見覚えのある顔で、
二人の時間は同時に止まったように見えた。
凍えたようなあの眼差しは健在のようだ。
その目にじっと見られて唯は微かに身震いしてしまう。
男は唯の腕を掴むと無言でそのまま歩き出した。
唯は驚いたショックでやはり言葉がなかった。
非常扉を開け、階段のところに出る。
すぐ横に別棟の壁があるので死角になっているのか誰かに見られることはなさそうな場所だ。
小柄な唯は表情をこわばらせた男を見上げた。
「新入生か」
「・・・そうです」
「クラスと名前は」
「一年二組、斎藤唯」
尋問のような男の言葉に唯はただ応えるだけだった。
視線だけでなく言葉も冷たい。
突き刺さるような話し方をする男だ。
胸が痛い。
男は脅える唯の顎を長い指でそっと持ち上げると、不快そうに言った。
「こんな邪魔なものをするな」
左手で唯の眼鏡をはずし、くちづけた。
貪るような暴力的で荒々しいキスだった。
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