氷中花
27


朝靄の庭を少し歩くとカントリー風のベンチが置いてあった。
唯はそのベンチになんとはなしに腰掛けた。
前方には薔薇が植えられているスペースがある。
つる薔薇のアーチの向こうにも大きく場所がとられており、バラ園のようだった。
まだ蕾のままのものもあるが七割がたは開花しているようだ。
手前の白薔薇に心惹かれ魅入っていると誰かの声が聞こえた。
ふ、と顔をあげる。
視界に見たことのある顔があった。

「あなたは・・・」

それは各務に連れて行かれたパーティで会った男だった。
濃いグレーのスーツを着ている几帳面そうな印象の男だ。
各務は母親違いの兄と言っていたような気がする。
そして・・・各務と唯の情事をこの人が見ていたとも。

唯を見つめる男は青ざめていた。
そしてゆっくり唯の座るベンチに近づくと手を伸ばせば届きそうな距離で立ち止まった。
唯の足元から頭上までを不躾なまでにじっと見ている。

「あの・・・」

唯はベンチから立ち上がり首をかしげた。
男は唯の声にはっとしたように震えると改めて唯の目を見つめた。

「あなたの名前は?」
「・・・斎藤唯です」

各務の兄というからにはあまり失礼に接してもまずいだろうと唯は応える。
ただし、あんなところを見られたかもしれないと思うと心情は複雑だ。
男は「そう」と頷くような仕草をすると顔の緊張感をやや緩めたようだ。

「先日一樹(いつき)が連れてきたお嬢さんですね」
「あなたは、彼のお兄さんだと聞いていますが」

唯が遠慮がちに応えると男は苦笑した。

「あれが僕を兄だと言いましたか。確かに血縁的にはそうですね。父親だけですが。
僕は各務の愛人の息子なんですよ。だからあいつはいつも僕を蔑むような目で・・・」

各務と男の兄弟間の確執まではわからないので唯は黙って男をみつめた。
兄弟仲が不仲なのは先日の言動から想像できたが、やはり家庭の事情は複雑らしい。

「申し遅れました。僕は各務冬夜(かがみ とうや)です」

冬夜と名乗った男は唯を見て微笑んだ。
微笑んでいてもどこかさみしげな印象で、
唯は各務の面影を冬夜のどこかに見出そうとする事を諦めた。
兄弟とはいっても二人はあまりにも違っていた。
冬夜の柔和な印象と硬質な冷たい印象の各務は対照的だった。
会話が続かなくて唯は頭に浮かんだ言葉を口走った。

「あの・・一美さんというかたをあなたはご存知ですか」

口に出してからしまったと思った。
こんな場所で不用意に出していい名前とは思われなかった。
だが冬夜はごく自然な口調で答えた。

「柚木一美なら、僕の母ですよ」

そしてその歩を進め、唯の頬を両手で包み覗き込むような姿勢で目を合わせた。

「初めて会ったときから思っていたんです。
十五で無理やり各務大樹に囲われ、僕を産み落とし愛する事のなかった母に、
あなたはどうしてこんなにも似ているんだろう」

冬夜の眼差しは狂気を孕んでいるように見えて唯は身を竦めた。
唯の頬に触れる冬夜の指も震えていた。
その震えが何からきているのか唯には計り知れない。
ただ、彼の言った言葉を胸のうちで反復するだけだ。

この人は、今何て言ったのだろう。
一美さんが、冬夜さんの母親?
各務大樹というのは彼らの父親のことだろうか。
唯はその存在に気づいてから”一美さん”が一樹の恋人なのだと思っていた。
だが冬夜の母親ということは彼にとっては母親のようなものではないのか。
それとも愛人という立場を考えると実母の敵とも言える立場だ。

「あなたなら、僕を愛してくれますか」

冬夜の言葉に唯は寒気が走る。
触れそうなほどに近いその視線は強すぎて、唯の反抗する力を失わせていた。




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