氷中花
36


車がついたのは川べりだった。
といっても唯と一樹が初めて逢ったあの場所ではない。
その支流のどこかのようだった。
こちらは川の側に大きな木が立っているところがあり
同じ川でもずいぶん雰囲気が違って見える。

重ねていた唯の手から左手をどけると、一樹は車を降りて助手席側に回った。
ドアを開け、まだ涙目の唯を抱えあげる。

「な・・なにを」

急な一樹の行動に唯は焦った声を出した。
その顔を見て一樹はにやりと笑った。

「やっと泣き止んだ」

唯もその言葉に泣き笑いのような表情を浮かべた。
小柄な唯を抱き上げたまま一樹は砂利道を通って川べりに降りる。
一樹の足元は雑草などで覆われているので唯は転ばないか不安げに一樹を見上げた。
前方を眺めている一樹とは視線が合わず、唯も川面を見つめる。

「これ・・あの川の続きですか?」
「そうだ。いくつもの支流が本流へ流れ込み、最後は東京湾へ」
「海につながっているんですね」

唯は見えない海を見るような目つきで川の先のほうをみつめた。
それは憧れのものを見るような眼差しで、一樹はふっと口元を綻ばせた。

「海が見えるところへそのうち連れて行ってやろうか」

その優しげな眼差しは唯だけに向けられるもので
だからこそ唯はつらくなった。
泣きそうな顔で川の流れを見つめたまま一樹の顔を見ずに応えた。

「約束はもうあんまりしたくないんです。だから」

唯の言葉にかちんときたのか一樹は急に黙り込んでしまう。
そのままふいときびすを返すと早足で車に戻り、唯を助手席に放るようにして座らせた。
温かい腕から唐突に下ろされて唯は驚くと同時に悲しくなってしまう。
まだシートベルトも締めないうちに一樹は車を発進させた。

「か・・一樹さん?」
「・・・」

スピードは制限速度などはなからないような数値をはじきだしていた。
唯は速度部分を見るのが怖くなって一樹のほうを見上げる。

「どこにいくんですか?」

おどおどした声は一樹の考えがわからなかったからだ。
一樹は怒ったような顔をして正面を睨みつけるように運転している。
対向車の人が見たら驚くんじゃないかというような冷ややかさだ。

「一樹さん・・・」
「海だ」
「え?海だって」

答えが素直に返るとは思わずに聞いたので唯はつい反復してしまう。
一樹は苛ただしげな口調で呟いた。

「俺はお前との約束を破らない。今から海へ連れて行ってやる」
「は?」

(・・・この人はなにを言ってるんだろう)

唯は急におかしくなった。
子供みたいに意地になってしまった一樹も
さっきまで泣きっ放しだった自分も
泣きすぎて頬の皮はややひっつれた感触があるが
それでも、唯は声を出して笑ってしまった。
ああ、自分はこの人と一緒にいるんだ。
そう思えたからかもしれない。

一緒に歩いていく人。

信じるのは怖い。
だけど一緒に歩きたいから、あのときに決めたはずだ。
あの日から自分の想う相手は一樹ひとりになったはず。
いつまでも和輝をひきずるのは唯の悪い癖だ。
すっかり機嫌を悪くしてしまったらしい一樹は触るのも怖いような冷たい空気をまとっている。
唯はそっと一樹の方に身を乗り出した。

「速度おとしてください。心中とか嫌ですよ」

そう言って一樹の頬にくちづけた。
氷の王子の周りの温度がいっきに上昇したのは言うまでもない。



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