氷中花
37


海に着いたのは夕方近くになってからのことだ。
高速の行き先案内板を見ていた頃から嫌な予感はあったが
到着したところを見てやっぱりと唯は一樹を呆れたように眺めた。
着いた先は東京湾ではなく伊豆の温泉付きホテルだった。
到着までたっぷり海を眺めることができたが明日の学校をさぼることは決定のようだ。

「明日の授業は・・・」

無駄だと知りつつも一応聞いてみると一樹は美しい顔でくすりと笑った。
いつもしかめっつらのような表情ばかりでいるので
こういう緩んだ表情をみると唯はついどきっとしてしまう。

「俺はない」
「・・・」
「明日は金曜なんだ。海辺で三日も過ごせば楽しめるだろう」

絶句しながらも唯は一樹の気遣いにきづいていた。
あのまま家に帰ることはできなかったし、和輝と顔をあわせるのも気まずい。
少しだけ、時間がほしかった。
携帯電話は準備室にあのとき置いてきてしまったので家に連絡することはできないが
今の自分にはこの状況はかえってよかったのかもしれないと思う。
三日間一樹と過ごして日曜の夜になんでもない顔で帰ったら、
きっと和輝の視線も義妹として受け止められる。
そんな希望が見えた。
今すぐに言葉を交わすのはお互いのためによくないと思った。
心残りは姉への土産のアイスクリームだが、それは今回は勘弁してもらおうと思った。
風邪気味の芽衣をきっと和輝は労わってくれるだろう。
唯へのイメージが準備室でのことですっかり壊れた和輝は
きっと今まで以上に芽衣を大切にしてくれるだろうと思った。
和輝と芽衣の祝福を妹として祈る、それが誰にとっても幸せなことのように思えた。

予約もしていなかったはずなのに最上階のおそらく一番いい部屋へ通されると
一樹はスーツの上着をベッドに放って窓際の椅子に腰掛け、煙草を吸いだした。
パーラメント。
この香りにも唯はすっかり慣れてしまっていた。
煙草の匂いは苦手だったはずなのに街中でこの匂いに反応してしまうくらい
唯にとって身近な香りだった。
一樹の上着をハンガーにかけてクローゼットに吊るすと、唯は窓際に寄った。
海が窓全体から眺められる。


「すごい・・・」



夕暮れの美しい波間をみつめる。
その煌きはなんともいえない輝きを放っていた。
オレンジというよりピンクに近い色は不思議な情景だった。
唯はしばらくの間それをじっと見つめ続けていた。



どれくらいの時間が経ったのだろう。
日は沈み、空には星が輝くのが見えた。

唯の背後から一樹が腕を伸ばす。
見かけより重量感のあるその腕を唯は抱きしめた。

「お前に、見せてやりたかった」

一樹の言葉に唯は胸が熱くなった。
抱きしめる腕をきゅっと強くする。


(あなたのやさしさに触れるたびに、私は強くなれる気がする)


唯は胸の中に大切な宝物をもらったような気がしていた。
悲しいことがあったらあの海と空を思い出そうと思った。
自然の美しさは唯の悩みを小さなものだと気づかせてくれた。
そして隣には一樹がいる。
唯は一樹のやさしいくちづけを受けながら、
今自分はとても幸せなんじゃないかといまさらのように思った。



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あなたの隣氷中花 枯れない花星に願いを Sugar×2太陽が笑ってる


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