氷中花
47


唯は冬夜に連れてこられた屋敷で雨音をBGMに眠っていた。
時間の感覚はない。
食事と主治医の検診以外は殆ど横になっていた。
起き上がる元気はなかったというのが正しいかもしれない。
処方された薬のせいか唯はあれから微熱の残る身体で浅い眠りを何度も繰り返していた。
目覚めるたびに気になることが頭をいくつもよぎるが
形にならないまま、また眠りに落ちる。


冬夜はなにを知っているのか。
聞きたいことはたくさんあったが冬夜はあれから一度も
唯の意識があるときに部屋を訪れることはなかった。



ー『一樹と別れるなら教えてあげましょう』



冬夜の言葉が繰返し蘇る。

一樹を失う代わりに真実を得る?
真実を何も知らないまま何もなかったように過ごしていく?

どちらも今の唯にとっては選び難い問題だった。
両親を問いただすほどの勇気はない。
しかし本当のことを知りたいという気持ちは時間をおうごとに強くなっていった。
一樹を今ほど想っていなかったらきっと簡単に別れてしまったかもしれない。
だが唯にとっての一樹はもう失えない存在になっていた。
冬夜の出した提案を呑むことはできないと思った。

あんな風に冬夜が切り出すということはやはり両親とは血のつながりがないということなのだろうか。
諦めきれずに仮定の言葉ばかりが頭を巡った。
だが、最後にはやはり絶望的な気持ちに陥ってしまう。

(私はお父さんとお母さんの娘じゃなかったの?
  だからおねえちゃんより愛してもらえなかったの?)

唯の胸で軋むような音をたてて何かが壊れそうになっていた。
だがいまや唯を支える者はなく、一人その重みに耐えるしかなかった。
涙はシーツに吸い込まれてゆく。
唯の閉じられた瞼から何度も何度も涙が零れ落ちた。






一晩明けると熱もさがったようで、身体の痛みや頭痛もなくなっていた。
まだ頭は重たかったが唯はゆっくりと起き上がる。
眩暈もないようだ。
ベッドから降りて窓際へ歩み寄る。
建物の二階にある部屋のようだ。
雨はすっかりやんでいた。
腕時計を見ると八時半だった。
ベッドサイドにある電話の下に唯の必要と思われる部屋への内線番号表が置かれてあった。
冬夜ももう起きている時間だろうと思って唯は内線電話をかけた。

「はい」

普段よりも電話の声のほうが低く感じられたが間違いなく冬夜のようだった。

「おはようございます、あの・・」
「おはようございます。体調はいかがですか」

声を聞いて名乗る前からわかったのか冬夜の口調が優しいものに変わった。

「もう大丈夫です。ご迷惑おかけしてしまってすみません」
「着替えを用意させましたから持って行かせます。そのままそこにいてください」

そういうと冬夜は電話を切ったようだ。
間もなく部屋の扉がノックされ、使用人らしき女性が現れた。
唯の部屋についているシャワールームの使い方を教えてくれて、衣類やタオルを置いて退室した。
至れり尽くせりだ。
唯は苦笑しながらやっぱり半分しか血のつながりはなくても一樹と冬夜は兄弟だなと思った。
自分と芽衣は姉妹らしく見えるところがあったんだろうか。
いまさらのようにそんな思いがよぎった。




身支度を整えた唯の前に冬夜がいる。
今日は茶系のスーツを着ていた。
このあと出社するのだろうか。
洒落たアンティーク調の丸テーブルに用意してもらった朝食を挟むようにして向かい合う。

「冬夜さん、私の聞きたいことを知っていると言っていましたよね」

唯は気まずく思いながらも先にこの話を持ち出した。
冬夜は表情を変えずに珈琲を飲む。

「ええ。話す条件は昨日言ったとおりですが」
「・・・私は一樹さんと別れるつもりはありません」

唯の言葉に一瞬傷ついたような顔をしたものの、冬夜は目を伏せて言った。

「警戒しているんですね。でも僕はあなたが傷つかないように考えて言っているんです」
「・・どうして」

唯には冬夜の言う事が理解できなかった。
一樹と別れろというのは二人の兄弟仲の悪さからくるものだと思っていたが
それだけではないのだろうか。

「あなたに信用してもらうためにひとつお教えしましょう。
僕の母親柚木一美と斎藤美登里は異母姉妹です」
「え・・・?」

思ってもみなかった事を言われて唯は戸惑う。
斎藤美登里とは唯の母親の名前だった。
旧姓は保科だから一美とは関係ないと思っていたが異母姉妹ということなら
苗字が違うということもあるかもしれないと思った。
両親と唯の血のつながりがないかもしれないと思ったときに一美のことを思い出したが、
もともと母親と一美の間には血縁があったということなのだろうか。

「じゃあ私と冬夜さんは・・」
「血縁関係になります。戸籍上では従兄妹ですね」

先ほどまで自分の血縁者は誰もいなくなってしまったかもしれないと絶望感の中にいた唯は
冬夜の示した新しい事実に動揺するばかりだった。

「じゃあ、私が一美さんに似ていてもおかしいことなんてなかったんですね」

唯の言葉には応えず冬夜は目を閉じて珈琲カップをテーブルに置いた。

「あなたが一樹と別れないというなら僕にはこれ以上教えることはできません」
「冬夜さん・・」
「ですが」

一呼吸おいて冬夜は唯の目をまっすぐに見た。
その眼差しがひどく苦しげで唯は戸惑ってしまう。

「望月和輝、彼ならあなたの欲しい答えを出してくれるかもしれません」
「和輝さんが?どうして」
「彼が全てを知っているからです」

そう言うと冬夜は立ち上がって唯に背中を見せた。

「冬夜さん?」
「時間です。条件を呑む気になったら連絡してください」

部屋から出て行く冬夜の背中にそれ以上言葉をかけられない何かを感じて
唯は動けずにいた。

(一美さんとおかあさんが異母姉妹で冬夜さんと私が戸籍上従兄妹?
そして和輝さんが全てを知っている・・・。)

和輝には聞きたいことがたくさんあった。
だが今新たに冬夜に提示された事実を確認するためにも
なるべく早く会わなければならないと思った。



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