氷中花
48


学校に着くと三時間目の途中のようだった。
制服を家に置いたまま私服で登校したので唯は隠れるように職員室へ向かった。
授業中のため職員室にいる教師は少ないはずだった。
壁にかけられた世界史準備室の鍵が目当てだったのだが、
それよりも優先すべき人をみつけた。
職員室の中には数学教師の大野と英語教師の望月和輝しかいなかった。
唯は急に鼓動が早くなるのを感じた。
和輝とは火葬場から電話をしたきりだった。
急に不安が増幅したが、このままにすることもできない。
職員室の扉の小さな隙間から和輝をみつめる。

(振り向いて・・・)

祈るような唯の気持ちが届いたのか、和輝が扉の方を向き視線を止めた。
唯の姿は向こうからは見えないはずだ。
だが和輝は大野に何か小声で話してから扉の方にやってくる。
逃げ出したくなる衝動にかられながら、唯はなんとか踏みとどまった。
俯く唯を職員室の扉の影で和輝が抱きしめた。

「唯・・・・」
「・・・」
「こっちへ」

和輝に手を引かれ、唯は非常階段へ出る。

唯の両頬に手を沿わせると和輝はじっとみつめた。
もともと垂れ目なのにさらに情けなさそうな顔をして、
そんな顔なのに和輝を格好いいと思ってしまう自分に唯は自嘲した。

「今までどこに行っていたんだ」
「・・・ごめんなさい」
「みんなどれだけ心配したか・・」

葬儀の日から結局三日家をあけたのだから家族の心配は想像できた。
だが母のひた隠しにしようとする祖父の発言といい秘密がまだあるようだった。
唯はあの家にいてはならないような気持ちにさえなっていた。
冬夜の言葉から想像すると”一美さん”と母は異母姉妹で唯が彼女に似ているのは問題ないようだが
あえてそのことを告げたということはまだ何かあるんだろうと勘ぐらずにはいられなかった。
だから、唯はひとつ賭けをしようと思っていた。
聞いても正直に答えてくれるとは思えなかったから。
すべてを知っていると言われた和輝へ罠をしかける。

「和輝さん、私もう知ってるの」
「唯?」
「私、あの家の子供じゃないんだよね。和輝さんも知っていたんでしょう?」

演技なのに声が震えた。
唯自身その言葉を口に出すことで酷く傷ついていた。
だが止めるわけにはいかなかった。
和輝の顔色が明らかに変わって、それを見て唯はやっぱりと思った。

「莫迦な、どうしてそんなことを」
「知っていると言ったでしょう、私は」

唯の真剣な眼差しに和輝は辛そうな顔で俯いた。
非常階段の手摺を強く握り締める。

「だったら・・何のために。お前のためにあの結婚だって・・」

和輝の言葉に唯は耳を疑った。
唯のほうに向き直り、和輝はせつなげな瞳を濡らして微笑んだ。
その微笑みは明らかに無理やり作ったもので、泣き顔よりも悲しそうだった。
唯をきつく抱きしめる腕は小さく震えていた。

「俺は、お前を傷つけたくなかった。なのに・・・」
「・・・おねえちゃんを愛していたんじゃないの」

唯は自分もいつの間にか泣いていたことに気がついた。
震える声も零れ落ちる涙も、ヒトゴトのように感じていた。
ただただ悲しみと疑問だけが胸の中嵐のように湧きあがっていた。

「唯の出生の秘密の公表と引き換えに結婚しているふりを求められた。
芽衣さんは自分の命の残りの少なさを知っていたから・・・」
「どうして・・おねえちゃん」

自分が両親の子供ではないという事実も大きかったが、芽衣がそのことをだしにして
和輝と結婚生活を持とうとしたことのほうが唯にとって大きな衝撃だったのかもしれない。
芽衣は唯にはいつも優しい良い姉だったのだ。
どんなときでも妹を優先にするような。

和輝は唯を抱きしめたまま呟くように言った。

「俺は唯を裏切った。それは自覚している。だけど、お前が傷つかないように
俺なりにお前を守ってやりたいと思った。それは今までもこれからも変わらないから」
「・・・和輝さん」

唯が一樹を好きでいることに変わりはない。
だけれど和輝を恋しく思っていた気持ちが壊されないでいたことに
安堵したこともまた確かな事実だった。
あの頃と変わりない優しい人でいてくれたことに唯は暖かい気持ちになった。

非常階段の上の階の扉が軋んだ音を立てたが二人は気づかずにそのままでいた。
いまの唯にとって和輝の腕の中が世界の全てだった。
これからまだ知らされるであろう唯の出生の秘密への不安と芽衣への不信感。
そういったものがないまぜになっていた。



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