氷中花
50


日差しが強く暑い。
唯が教員用駐車場に向かうと既に和輝は車の前で待っていた。
その姿を認めて慌てて唯はかけよった。

「中で待っていてくれてよかったのに」
「似たような車多いから」

唯が和輝の車を間違えるはずはなかった。
それでも和輝の心遣いに懐かしい優しさを感じてしまう唯だった。
他の生徒に見咎められないよう急いで助手席に乗ると、
和輝は唯のシートベルトを確認して車を出した。
コッソリ盗み見た横顔は真っ直ぐに前をみつめている。
唯が和輝の運転する車に乗ったのは数えるほどしかない。
だからどうしても落ち着かなくてドキドキしてしまう。
今は聞きたいことがたくさんあるから余計にだ。
知らないということを隠している後ろめたさからか必要以上に緊張していた。
この胸の高鳴りが動揺からくるものなのか和輝への未練やときめきからくるものなのか
唯にはすぐには判断できなかった。
車の中では会話がなかった。
落ち着いて話すべき内容だとお互いに思っていたようで無言でも静かな緊張感が続いていた。


まだ新しい雰囲気の三階建てマンションの駐車場に車をとめると、和輝は車から降りた。
唯も和輝に続いてマンションのエレベータに向かう。

「ここは?」
「今の俺の家。意外と近いだろう」

唯の家から歩いて二十分くらいの距離だろうか。確かに近い。
芽衣の葬儀の日にここに一人で荷物を運んだのかと思うと胸が痛んだ。
三階の三つあるうちの真ん中の表札に「望月」とある。
芽衣と和輝は入籍は実際されていなかったことを唯は急に思い出した。
斎藤芽衣のままで亡くなった姉。
先ほどの和輝の言葉は今も唯の胸に刺さったままだったが、姉がどうしてそんなことをしたのか
何よりもいまはそれが知りたかった。
唯の知っている芽衣に繋げたかった。

「まだ散らかっているけど、気にしないで」

照れたように笑いながら和輝が先に中に入った。
淡い緑色のスリッパが出される。
ワンルームではなく二部屋くらいあるようだ。
リビングに入ると積んだままの段ボール箱の向こうにガラスのミニテーブルが見えた。
引越ししたばかりという様子がすぐにわかる部屋だ。
まだ必要なものしか出していないのだろう。
冷蔵庫から出した紅茶のペットボトルをふたつ持ってくると
「まだ食器とか出してないからこれで」と和輝は苦笑しながら差し出した。
唯はうなずきながらペットボトルを受け取る。
テーブルを挟むようにして向かい合って座った。
和輝は自分のペットボトルからひとくち飲むと、唯のほうをみつめた。

「さっきの話だけど」
「はい」
「唯はどうして知ってしまったの?」

唯は動揺した顔を見られたくなくて俯いた。
自分の手が震えるのがわかったがすぐに応えなければまずいと思った。
ここで嘘だとわかれば和輝はなにも語ってくれないかもしれない。

「冬夜さんに聞いて」

嘘を重ねることに胸が痛んだが冬夜が和輝の名前をだしたのは確かだった。

「そう、彼に会ったんだね」

和輝は納得してくれたのかそれ以上唯を問いただそうとはしなかった。

「彼は興信所で調べて知ったらしいんだ。斉藤家にきて、ただひとりの妹だから唯に会って話したいって
言っていた。だけど唯が知ったらショックを受けると思って言わないで欲しいと斉藤家のみんなと俺で話して
決めたんだ」
「そうだったんですか」

和輝の言葉から冬夜が自分の兄で一美が母であることを唯は知った。
やっぱりと思いつつも胸がひどく痛んだ。
自分は斎藤家の人間ではなかったのだ。
涙がぽつりと落ちた。

「各務先生は一美さん、唯の本当のお母さんと恋人関係だったことがあるんだってね」
「・・・」

考えたくなかったことを突きつけられて唯は心臓が大きく鳴った気がした。
それ以上言わないでと唯の中の何かが和輝に訴えたがそれは届かなかった。

「唯はそのことを知っていて各務先生と」
「和輝さん」

それ以上聞きたくなくて唯は和輝の言葉を遮った。
和輝も言いかけた言葉を呑み込む。

「教えて欲しいことがあるんです」
「・・俺にわかることなら」

唯は和輝の目を真っ直ぐに見上げた。
今は先に話したいことがある。

「おねえちゃんの話、私どうしても信じられなくて」
「そう」
「おねえちゃんはどんな時でも私を優先してくれるようなそういう人だったんです。
それが和輝さんを脅すようなまねをして結婚を迫るなんて・・私には信じられない」
「・・・そうかもしれないね」

唯の問うような視線から目を反らすと和輝は手元のペットボトルを見た。
その中に見るのは何だったのだろう。
ひどく暗い目をしていた。

「唯は芽衣さんが研究室の学生にしつこく言い寄られていたのは知っている?」
「ストーカーにあっているっていうのは聞いたことがあります。何か事件が起きたって」
「そう、事件が起きて。それで芽衣さんは人が変わってしまった」

唯には姉の変化はわからなかったが、その事件が芽衣に何か影響を与えたのだろうか。
事件の後海外留学と偽って入院したと言っていた。
そのため事件の直後から一年ほど唯は芽衣と離れて暮らしていた。
和輝はその事件のことを何か詳しく知っているのだろうか。
姉の性格を変えてしまうような何かがそこで起こったのだろうか。
和輝の暗い瞳をみると内容がよくないものであろうことは想像できた。

「その事件って、何があったんですか」

それが全ての始まりならば知らなければならないと唯は思った。



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