氷中花
51


和輝は言いかけて何度かやめるという様子を見せた。
それだけ言いにくい内容なのかと唯は緊張感を高めた。

「芽衣さんに付きまとっていた男は植田という大学院生で斎藤先生の研究室にいた。
君も知っているとおり先生は自分のところの学生をときどき家に招いてくれて、
それで植田も芽衣さんの存在を知ったようだった」

植田という男がどんな人だったか唯の記憶にはない。
あの頃はたくさんの学生が行き来していたのだから。

「植田は芽衣さんに好意を抱いたようだがそれを伝えることはなかった。
芽衣さんを想う男が多いのは研究室でも周知のことだったからまた一人増えたくらいの感じだったんだ」

唯は姉の生前の姿を思い浮かべていた。
美しくみんなに愛されていた芽衣を。

「ある日研究室で植田に呼び止められたんだ。俺の名前で芽衣さんを呼び出してほしいって」
「どうして和輝さんに?」
「俺が家庭教師として出入りしていたことを彼は知っていたから。
彼女に告白したいけれどみんなのいるところでは恥ずかしいから二人で話をしたいと言われてね」

和輝の瞳が苦痛に歪んだ。
普段の朗らかな印象が泣きそうなほどに沈んでいる。

「おかしいと思うべきだったんだ。だけど彼は俺のゼミ仲間で、
最初は断ったものの結局俺は引き受けてしまった」
「おねえちゃんを呼び出したんですね」
「そう、あの日芽衣さんはひとりで先生の資料室に向かった」
「資料室?」
「斎藤先生が個人で借りている倉庫のような場所なんだ。
俺はよくそこの整理を手伝っていて芽衣さんが何度か差し入れを届けてくれたりしていた」

唯は資料室の存在も芽衣が差し入れをしていたことも知らなかった。
もしかしたらその頃から芽衣は和輝のことを想っていたのだろうか。
今となっては唯に知るすべはない。

「二時に資料室にきてください。俺はそう言って芽衣さんを呼び出しておいて違う場所にいた。
だけどちょうど斎藤先生から呼び出しがかかって先生と一緒に資料室に行くことになってしまった。
二時半を少し過ぎた頃だったと思う。もしかしたらまだ二人が中にいるかもしれないと思いながらも
先生に言うわけにもいかなくて資料室に向かった」

和輝は沈んだ表情を青ざめさせた。
そのときの情景を思い出したのかもしれない。

「扉を開けるとうずくまるような人影が見えた。植田が芽衣さんの首を絞めていた」
「?!」
「斎藤先生が慌てて植田を取り押さえて、芽衣さんの命は助かったけれど・・彼女は乱暴されていた」

姉に起こった出来事に唯は胸が痛くなった。
涙が止まらない。

「醜聞を恐れて先生はおおごとにならないよう取り計らったようだけど
植田はそのあと大学院にくることはなかった。
芽衣さんは産婦人科にそのまま連れて行かれて検査をしたらしい。
そこで皮肉なことに病気が発見された」
「卵巣癌?」
「うん。芽衣さんのショックも大きかったからそのまま施設の整った病院に急遽入院が決まったんだ」
「私には海外留学と嘘をついて?」
「まだ中学生だった唯には話せなかった。芽衣さんも誰にも知られたくないといっていたしね」

確かにあの時期にそんな話を聞いていたら男性不信になっていたかもしれないと唯は思った。
だが何も知らずにエアメイルを出し続けた自分の鈍感さにも呆れてしまう。

(私は、何もわかっていなかったんだ)

芽衣が和輝と結婚生活をおくったのはもしかして復讐だったんだろうか。
そんな思いがよぎった。

「和輝さんが、おねえちゃんを?」
「そう、俺が地獄へおとしてしまったようなものだ」
「だからおねえちゃんと結婚したふりをしたの?」

和輝は俯いたまま首を横に振った。

「贖罪の意味がないと言えば嘘になるけれどそれが理由じゃない。
前にも話したように唯に出生の秘密を明かすといわれたからだよ」
「どうして・・・」

涙の止まらない唯の両手をテーブルの上で和輝はぎゅっと握った。

「俺の気持ちを知っていたからだろうね、芽衣さんは。こんな風に伝えたくなかったけれど」

和輝の目は真っ直ぐに唯をみつめた。
絶望の中で彼は眼をそらさずに言った。

「俺が唯を好きだったから」

唯は耳を疑った。
あのときどんなに聞きたかった言葉だろう。
では、あれはやはり唯の思い違いではなかったというのか。
片思いではなかったというのか。
こんなに時間が経って、あのときとは状況が違って。
それなのにその想いを告げられるとは。
唯は運命を呪いたくなった。



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