氷中花
52


唯は涙をこぼしながらも握られた和輝の手をゆっくりはずした。
視線を合わせているのが辛くて俯いた。
和輝の真剣な眼差しが痛かった。
胸がこんなにも高鳴るのは動揺によるものだと思いたかった。
和輝への想いは絶ったはずだ。
自分が好きなのは一樹だけなんだと胸の奥で反復する。

「私も、好きでした」

搾り出すようにして言ったこれが唯のいまの答えだ。
あえて過去形で言う唯に和輝は苦笑を浮かべた。
和輝は俯いたままの唯の髪をくしゃりと右手でいじり
「俺ってほんとタイミング悪い」と呟いた。
ふざけた感じの口調が和輝の気遣いだとわかる唯は
止まらない涙はそのままに笑みをつくった。
彼のこういうところが本当に好きだったのだ。
和輝の周りはいつも暖かくて唯を楽しい気持ちにさせてくれた。
変わらないでいてくれた和輝に触れるたびに唯は以前の恋心を思い出して
暖かい気持ちになった。
だがそれは一樹への裏切りのようにも感じられた。
和輝を忘れるといった自分を一樹は信じてくれたから付き合ってくれたんだろうから。

だが、先ほどの和輝の話から胸にひっかかるものができてしまったのも確かだった。
唯の父親は誰なのか。
一美は一樹の父親の愛人だったと聞いている。
もしかしたら一樹と義兄妹という可能性もあるのではないか。
それは考えるだけで寒気のすることだった。
そして唯は自分の母親がわかったことの喜びと共に
恋人を共有してしまうことにも気づいてしまった。
しかも実母の死因は彼と彼の母親、そして自分の兄からなるものなのかもしれないのだ。
和輝に各務一樹のことが好きだと今はっきり言えないのは
そういった胸の中で渦巻く仮定ゆえだ。
すべてを知っていると冬夜に言われていた和輝に
もしここで一樹と兄妹だとでも言われたら唯は立ち直れない気がした。

「唯、斉藤家に帰ろう?ご両親心配しているよ。ずっといろんなところに連絡していた」
「私・・あの家には帰れないです」

居場所のなさを感じて唯は言った。
姉への複雑な思いも残っている。
芽衣は唯の和輝への気持ちを知っていたのだろうか。
両親が芽衣を溺愛する寂しい現実を皮肉なことにも受け止めさせてくれたのは芽衣の愛情だった。
唯は芽衣がいることであの家での居場所を得ていたのではないかという気が今ではするのだ。
そんな芽衣が唯から和輝を取上げ脅迫していたなんて。
芽衣の自分への愛情すら疑わなくてはならない気持ちに唯は混乱していた。

「各務先生のところにいくの?」

和輝の複雑そうな顔を見て首を横に振る。
一樹の側にいたいという気持ちはある。
けれど唯の父親の確認をするまでは会うのが怖いと思ってしまうのも事実だった。
会えばまた身体を重ねてしまうだろう。
唯は一樹を拒む自信がなかった。

「冬夜さんのところに行きます」
「そう。唯の本当のお兄さんだし今はそのほうがいいなら僕からご両親には話しておくよ」
「制服、斎藤の家にあるんです。まだ両親に会える気持ちじゃないんで
すみませんが和輝さん預かってきてもらえませんか」

図々しい頼みごとだと思ったが和輝は快く頷いてくれた。
学校をもう何日も休んでいたのが気がかりだったがこれでひとつ解決したと思った。
どこにも行くところがなくなったらと冬夜は以前火葬場で唯に言ったが
今がそのときなんだろうと思った。
あのときはきっともう事情を知っていたのだろう。
唯を心配そうに見た目を思い出した。
冬夜が兄という実感はまだないが彼を頼るしかなさそうだった。

和輝の車で冬夜の家まで送ってもらうと、そのまますぐ帰らずに和輝は一緒に車を降りた。
冬夜はもう帰ってきていたようで応接室のような部屋で二人を迎えてくれた。

「おかえりなさい」
「ただいま」

冬夜は唯の顔をみて出かける前にはなかったものを認めたらしい。
そっと笑みを浮かべた。

「望月さん、唯を送ってくださってありがとうございます。
あとは僕が彼女を守りますからご心配なく」

冬夜の言葉に表情を硬くしたものの「お願いします」と和輝は頭を下げた。
そこに大きな音を立てて扉が開かれた。
三人が目を向けると一樹が怒ったような顔をして立っている。
乱れたスーツ姿を見ると慌ててきたようだ。

「一樹さん・・・」
「この家に住むって本当なのか」

一樹は他の二人には目を向けず、唯だけを睨むようにしてみつめた。
冷たい強い視線に唯は戸惑ってしまう。
視線をそらしたところで冬夜が低い声を放った。

「本当です。この家にこれから僕と一緒に住むんですよ」
「お前には聞いていない」

うっすら笑みを浮かべた冬夜を一喝すると一樹は唯の近くまで寄って両肩を掴んだ。
いつも上段から構えたように見る余裕ある態度が嘘のようだった。
唯は一樹の動揺の理由を知りたかったが冬夜と和輝のいるこの場で
それを聞いてもいいものなのか
気恥ずかしさもあって何もできずにただ見つめることしかできなかった。

「・・・この家にお世話になる予定です」

小さく応えた唯の言葉を聞くと、一樹は「わかった」とだけ答えて部屋を出て行った。

「一樹さん?!」

唯の言葉は届かなかったのか振り返ることもなかった。
後姿を見つめる和輝の隣で冬夜が冷たい笑みを浮かべていた。



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