氷中花
63


ー芽衣の手紙全文

唯へ
自分の存在しない世界へ書く手紙というのはひどく悩ましいものです。
それはどんなに頭で理解していても。
それでもあなたに伝えたいことがあってペンをとりました。

あなたに手紙を書くのは私が海外留学していたとき以来ですね。
今はもう知っているかもしれませんが真実をいうと私はあのとき入院していました。
あなたに知られるのが嫌で留学だと嘘を通していました。

本当の私はある事件をきっかけに病院で検査することがあり、
そのときに病気がみつかりました。
それから一年ちょっと入院し、治る見込みがないと判断され
以降は薬などでごまかしつつ家族と暮らすことを選びました。
死期は確実に早まりましたが私は後悔していません。
なぜなら、私は一度殺された女だから。

事件について振り返ることは私にとって辛いことです。
けれどこれも含めて話さなければあなたに伝えることができないと思い
あえて私は過去を振り返ります。
どうか私を軽蔑せずに最後まで読んで欲しいと願います。

私の夫となった望月和輝さんですが、私たちは真実の夫婦ではありませんでした。
私は和輝さんを好きでしたが彼が見つめていたのは
唯、あなたでした。
私はあなたを妬ましく思いながらもいい姉として接することを
常と同じように選びました。
唯が高校に入学したらおそらく二人は付き合うだろう、そのときは応援してあげよう。
胸の中でそう思っていました。

それが偽善だったと気づいたのはある事件があったからでした。
ある日私は和輝さんに電話をもらいました。
それがどんなに嬉しいことだったかあなたには想像もできないでしょう。
父や妹を挟んでしか接することのできなかった憧れの人が
私個人と会うことを選んでくれたというのです。
呼び出されたのは父の倉庫として使っていた場所です。
人のあまりこない場所で二人で会いたいと言われ私は動揺していました。
和輝さんが唯を想っていたと思ったのは私の勘違いだったのかもしれない。
そんな淡い期待を抱き、いつもよりもおしゃれをして私は出かけました。
早めに倉庫についた私は父の本を手に取りこれから彼にどんな言葉をかけられるのか
そんなことを想像して胸をときめかせていました。
大学生にもなってと思うかもしれませんが
おそらくあなたと同じだけの時間私は和輝さんを想っていたのです。
一度は諦めようとした想いが再燃して私は現実を見る力を失っていました。
夢想する私を現実に戻したのは倉庫の扉が閉まる音でした。

そこにいたのは、約束した想い人ではなく
以前からしつこく付きまとう父の研究室にいた男でした。
こんな日にまでこの男が訪れるなんてと私は不愉快になりました。
ここで待ち合わせをしているから早く用事を済ませて帰ってほしい
と私は男に伝えました。
すると男は言うのです。
和輝さんはこない、と。
男と私を二人きりにするためについた嘘だと。

私は信じませんでした。

和輝さんは私の勘違いをきっと解いて、想いを伝えてくれるんだと。
私は自分の思い込みを信じました。
時計の針は約束の時間を過ぎましたがただ遅れてくるだけだと思いました。
私の言葉に苛立った男は無理やり私を自分のものにしようとしました。
必死で抵抗すればきっと遅れてやってきた和輝さんが助けてくれる。
私はそう思って暴れました。
自分にこんな力があるとは思えないほど、私は男に抵抗を続けました。
私の抵抗は男をさらに苛立ててしまったのか男は正気を失いました。
いえ、とっくに狂気のなかにいたのかもしれません。
そうでなければあんなに恐ろしいことができるはずありませんから。
私の首に両手をあてて、締め上げてきたのです。
意識が遠くなるのがわかりました。
次に気がついたときには男は私の中に入り込んで快楽を求めていました。
私はただ痛みと恐怖に呆然と男を眺めました。
私が気がついたことに気づくと男はまた私の首を絞めてきました。
今度は意識を失うことなく苦しさだけが続きました。
ああ、自分は死ぬのだ、と思いました。
和輝さんが間に合うことを信じていたけれどやはりドラマのようにうまくいくわけじゃなく
私はこの狂った男に犯され、首を絞められて死んでゆくのだ。
私の人生とは何だったんだろうと。
時間にしたら秒単位のものだったかもしれないけれど
私の中に駆け巡る想いはひどくたくさんあって
こんな風に死ぬだけの人生なら唯、たとえあなたたちが両思いだったとしても
あなたから和輝さんを奪って私は死ぬ最期の時を和輝さんと迎えたいと
そう思ったりもしました。
意識がだんだんと薄れ息苦しさと痛みと何かわからない思いに包まれ
ああ、自分は死んだと思ったときに
急に息ができるようになりました。
現実に戻るまで僅かに時間がかかりましたが父が男の上に馬乗りになって殴りつけ、
和輝さんが自分の上着を私にかけたところでした。
そして信じられない言葉を聞きました。

『どうしてこんなことを。約束と違うじゃないか』

和輝さんが男にかけた言葉でした。
『約束』?
では、男が言っていたことは本当だったのだろうか。
和輝さんは最初から私とこの狂った男を会わせるためにあんな電話をかけたのだろうか。
やはり、彼の想いは私の勘違いだったということなのだろうか。
彼が好きなのは唯で、私は彼にこの男をあてがわれたのだと?

気がつくと私は笑っていました。
大きな声を上げて。
そして、そのまま意識を失ったようです。

病院に運ばれ、妊娠に伴う検査などを受け、病気が発覚したものの
しばらく私には伝えられず検査入院と言われました。
個室の部屋のベッドで私はひたすら和輝さんを呪いました。
私を地獄に突き落とし、それでも愛してやまない人を。
そして自分の病気のことを知ったときにはっきりと悟ったのです。
私はもうイイコでいることを選ばない。
最期の時まで後悔したくないから。
今度死ぬときには必ず最愛の人に側にいてもらおうと。

可愛くて可哀想な義妹の唯。
私は小さな頃はじめてあなたに逢ったときから
この誰にも愛されない子供を私だけが愛してあげようと決めていたのです。
母の妹でもある実母からは「いらない」と言われ
父親からは浮気してできた子供として扱いに困られ
育ての親の母からは夫の浮気相手の子供であり実の妹の子であるという
複雑な思いの中育てられ
何も知らずにその中で懸命に生きようとするあなたが愛しかった。
どんなに欲しいものがあっても唯を優先してあげよう
私は小さな頃自分にそう誓い、あなたと共に大きくなってきました。

それが
私の最愛の人にあなたは愛され
私は最愛の人に地獄に落とされ間もなく死んでゆく
これは公平ではないと思ったのです。
私があなたに譲った幸せを私にも分けて欲しかった。
死ぬまでの僅かの間だけでもいいから和輝さんがほしかった。

これは言い訳です。
死を目前にして私はあなたの幸せよりも自分の幸せを選んだ、それだけ。
それでも、私が死んだらあなたに返すという想いを込めて
形だけの結婚式で持ったブーケをあなたに手渡しました。
私の気持ちはきっと伝わらないだろうけれど
それでも彼と過ごす時間を少しだけ貸してほしかった。
そしてあなたに時が来れば彼を帰すと。

それともあなたは和輝さんを選ばずに彼を選ぶのでしょうか。
以前あなたと知らない男性が家の裏に止めた車に一緒にいるのをみかけました。
あなたが和輝さんを想わず他の男性を想うならどんなにいいか
いえ、それでは和輝さんの幸せごと私は奪ったことになってしまう。
やはり唯には和輝さんと一緒に幸せになってほしい。
思いが錯綜してまとまりません。
今の私にはあなたの幸せを願うことが一番なのかもしれません。
私が奪ってしまった恋を懺悔します。
そして、どうかあなたは後悔のないように。
本当に愛する人と共に生きてください。
イイコでいる必要はありません。
共に生き、最期を迎えるときも一緒に過ごしたい人をみつけてください。

それが私の願いです。
愚かな姉を許してください。
そして半分だけの血のつながりとはいえ私があなたを愛していたことを信じてください。

あなたの幸せを祈っています。



小説目次    NEXT  


*** ひとことご感想いただけると嬉しいです ***

お名前

ひとことメッセージ


読まれた作品は?
あなたの隣氷中花 枯れない花星に願いを Sugar×2太陽が笑ってる


                                   Powered by FormMailer.

長文・返事ご希望の方はこちらへ >>> MAIL

inserted by FC2 system