氷中花
68


車の中ではお互い終始無言だった。
唯は一樹をみることなくただ前をじっとみつめている。
それは唯の決意のようなものを感じさせ、一樹も知らず硬い表情になっていた。

車を降り、手を引かれて胸が高鳴った。
この人に触れるのはどれくらいぶりなんだろうと唯は胸が熱くなる。
だが川べりに歩いていくときも言葉はなかった。
触れるその手の温もりだけが唯にとってすべてだった。
晴れ渡る空と、寒風と、ときおりあがる白い吐息。
祈るように空を見上げる唯を一樹はじっとみていた。
つないだ手はそのままに。

雪なんて降るはずがない。
そう思ってはいたが唯の真剣な眼差しに一樹は断る術を知らなかった。
冬夜から義妹だと知らされたときの衝撃は今も癒えない。
自分が殺した女の娘。
一樹は唯と同じように空を見上げた。
澄んだ青い色をしている空は一樹には眩しすぎた。

「くしゅんっ」

唯のくしゃみに一樹は眉をしかめると羽織っていたコートを唯の肩にかけた。

「あ・・」
「だから風邪をひくと言ったんだ」

唯は慌てたように着物の上にかけられたコートを取ろうとしたが一樹の手に止められる。

「か・・各務先生が風邪をひきます」
「俺はひかない」

そういうと唯の左手をまた右手で掴んだ。
唯は頬を染め赤くなったまま俯いてしまった。

この人の手を離したくなかった。
ずっとつないでほしかった。
一緒に歩いていくのも、最期のときを迎えるときもこの人の側にいたいと思った。
氷のように冷たい眼差しも唯にとってはいまでは心地よい穏やかさすら感じさせた。

(おねえちゃん・・・雪を降らせて)




一心に祈る唯から一樹の手が離されたのはどれくらい経った頃だろうか。
唯ははっとして袂に入れてあった腕時計を取り出す。
もうあれから一時間くらい経っているようだった。

奇跡は起きないんだ。
賭けは負けだ。
絶望の中しゃがみこんだ。
最初から分かっていたはずだ。
確率の低さなど。
それでも唯は信じたかった。
自分と一樹を結ぶ何かを。

唯は僅かに残る温もりを手放したくなくて左手をそっと自分の頬に当てた。
もうあの手に触れることはないのだろう。
一樹は梨花の手を取り人生を歩いていく。
零れ落ちる涙で霞んだ情景に白いものがちらちらと舞った。

「え・・・」

しゃがみこんだ姿勢のまま空を見上げると一樹が千切ったノートの切れ端を唯に降らせていた。

「これじゃ駄目か?」
「・・・」

唯の腕を取り立たせると、一樹は唯の顎を人差し指で持ち上げ至近距離で見つめた。

「俺の負けだ。義妹でもなんでもいい。また俺のせいでお前を死なせるかもしれない。
それでも俺の側にいろ」
「各務先生・・・」
「もう先生の時間は終わりだ」

涙で霞んだ向こうに不敵に微笑む冷たい眼差しの男がいる。
美しい顔が僅かに歪む。

「お前の”カズキさん”は俺だけなんだろう?」

一樹のそんな自信なさそうな顔を見たのは初めてで唯は泣きながらくすりと笑った。

「はい」

ゆっくりと近づく気配に気がついて唯は瞳を閉じる。
触れた唇の冷たさも甘さも酷く懐かしくて涙が止まらなくなる。
この人の側にいていいんだろうか。
何度も重なる唇にうっとりしている唯は不意に一樹から引き離された。

「一樹さん?」
「嘘だろう・・・」

一樹の視線に釣られて唯は見上げる。
青空から雪がはらりはらりと降りてくる。


「雪・・・?!」

天気雨ならぬ天気雪というのだろうか。
二人のもとに雪が舞う。



各務家新年パーティーの建物からも窓の外の雪に気づいたものがいたようだ。
晴天の雪は珍しく寒風に舞うその姿に歓声があがる。

「奇跡はおきた・・か」

冬夜は苦笑しながら梨花に手を差し伸べ、その美しい顔を見つめる。
梨花はにっこりと微笑むと「パートナーチェンジね」と冬夜の耳元で囁いた。
差し出された手を支え、エスコートして会場の中のステージにあたる場所へ向かう。
九条家と各務家の婚約はつつがなく発表された。


唯は川べりで舞う雪を見ながら和輝の言葉を思い出していた。

「この川にも伝説あるのかもしれません」

唯から伸ばした手は一樹に受け止められ、つないだまま二人は青空を眺めていた。
白く淡い雪が二人を包むように舞っている。





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