氷中花
16


唯が選択科目で世界史を選んだのはもともと歴史好きだったからだった。
本好きの唯にとって物語よりも数奇な過去を知ることは楽しい時間だった。
ただ、担当教師とこんな微妙な関係になっていなければ、といまは思う。
教科書に集中できなくて唯はそっと顔をあげた。

指名した生徒に教科書を音読させている間、
各務は相変わらずの冷めた表情で窓の外を見ていた。
その横顔に憧れる女生徒が多いことは学校内では周知の事実だ。
実際に綺麗な顔だとは思う。
色白の肌は脆弱な印象ではなく透明な世界を思わせた。
各務の周りには違う空気が流れているようだった。
冷たい、吹雪く夜を思わせる世界。
ふっと各務の視線が唯と交わる。

はっとしたように唯は教科書に目を落とした。
あからさまに反らされた視線に各務はむっとしたように冷たい視線をさらにきつくした。
チャイムの音に各務はため息をもらしながら「号令」と呼びかける。
最前列の生徒が号令をかけ、一礼後皆着席をした。

選択授業の教室から移動しようとする生徒を見て各務が声をかけた。

「斎藤、昼休みに準備室に来い。配布物の整理を頼む」

唯は各務の声にドキッとする。
あれから一週間近くたつが学内では人前で決して声をかけられることがなかったせいか、
油断していた。
唯はやや青ざめた表情で各務を見た。
各務の視線に断ることができないものを感じると「はい」と諦めてうなずいた。
他の女生徒から妬みの視線を感じたが、目を伏せて気づかないふりをした。

「ついてないね、各務先生の手伝いなんて」

先ほどの視線とは正反対のような声をかけられて唯は驚いて顔を上げた。
同じクラスの佐々木若菜だった。
入学式の日に熱をだしたと聞いて以来席が前後だったこともあって心配で何度か声をかけていた。
愛らしい容姿は学園内でも目立つ存在になりそうな美少女だが性格はきさくなようだ。
唯はほっとしたように笑った。

「そうだね」

各務と二人きりになるのは不安だが学校内のことだ。
あまり警戒しすぎるのも自意識過剰なのかもしれない。
あの日から声ひとつかけられたわけじゃない。
唯は各務との関係をはかりかねて自分の中での位置づけがはっきりしていなかった。

もう誰も好きになったりしない。
そう決めていたはずなのに。
各務の視線が気になるなんておかしなことだと思った。
考えすぎなのかもしれない。

教師と生徒。

二人の関係はそれだけのはずだ。
成り行きでおかしなことになったものの各務だって後悔しているはずだ。
学校内でも女生徒からの熱い視線を浴びまくっている美形教師。
そんな人が自分とまじめに付き合う気なんてあるはずがないと唯は思った。
気紛れに抱かれただけなのだ、きっと。
そして、あの夜は唯自身も彼を利用して抱かれた。
和輝を忘れるために。

表面的に何かが変わったわけじゃない。
それでも、唯は和輝の大切にしていた少女ではなくなった。
それだけは唯が自覚できる大きな変化だった。




昼休みになると、唯は世界史準備室の扉をノックした。

「はい」

低く響く各務の声を聞いてどきっとした。
小さく深呼吸して応える。

「斎藤です」
「・・・入りなさい」

準備室の中には各務しかいなかった。
唯は一礼して扉を閉めると窓に寄りかかるようにして立つ各務の近くに寄った。
白衣がまぶしい。

「配布物の整理ってどれですか」

唯はあえて生徒としての関係を強調するように各務に言った。
各務はじっと無言で唯の目を見つめた。
言葉がない二人だけの空間はひどく気詰まりだ。
唯は各務の強い視線に晒されてかっと赤面するのを自覚した。

「先生・・・」

唯の赤面に苦笑すると各務は自分の前にある椅子を指差した。

「ここに座って」
「・・・はい」

唯は言われるままに各務の椅子に座った。






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