氷中花
21


日差しの暖かさとは対照的に風はまだ冷たかった。
スーツの上に羽織ったベージュのスプリングコートの前を合わせると、
唯はあたりを気にしながら裏手に回った。
唯の家の裏には道路を挟んだ向こう側に水路があり、そのため人通りは殆どない。
その道に見慣れた車を見つけると、唯は足早に駆け寄った。
運転席のほうを見るとスーツ姿の各務が助手席に乗るようにと指で合図した。

唯が助手席へ乗り込み、ドアを閉めるのとほぼ同時に各務は無言で車を発進させた。

(相変わらず愛想のない人だわ)

唯は呆れたように各務を見上げたが、その美しい顔は
いつものように突き放すような視線で正面を見ていた。

「先生」

唯が緊張の中発した小さな声は届かなかったらしく、二回目にやっと気づいてもらえた。
各務が唯のほうをちらと見て、また正面を向く。
運転中なので仕方ないが唯はその一瞬にどきりとしてしまう。
各務の視線は唯の気持ちを全て見通すように見えて、気のせいと思いつつも動揺してしまう。
頭に血が上っている中唯はなんとか言葉を続けた。

「先生、どこに行くんですか?」

聞いても答えが返る可能性は低そうだったが会話をしたかった。
無言で小さな密室に二人でいることが堪えられないように思えた。
各務は不機嫌そうな口調で吐き出すように言った。

「いい加減覚えたらどうだ。二人のときは名前で呼べと言ってあるだろう」

唯は各務の名前を呼ぶことに今でも抵抗があった。
望月和輝と字こそ違え同じ「カズキ」だ。
それでもこれもリハビリの一環と割り切って呼ぶべきかもしれないと思い直し、
小さな声で「カズキさん」と呼んでみた。
なぜか一瞬びくりとした後、各務は遠い目をしたまま「それでいい」と呟くように言った。



(誰があなたを「カズキさん」と呼んでいたの?)



唯は聞きたくても聞けない問いを胸の中で繰り返した。
なぜ「カズキ」と呼ぶことにそこまで抵抗感を覚えるのかと
各務に聞かれて困るのは唯も同じだった。
お互いの傷に気づかないふりをするのは思いやりなのかもしれないとそっと思う。


いつの間にか助手席で眠ってしまったらしい。
強い視線を感じて目を上げると各務が見たこともないような表情で唯を見つめていた。

やさしい眼差し。
そして、ひどくせつな気な風情。

こんな風に見つめられた事はなかったので唯はかーっと頬が熱くなってしまうのを感じた。
唯と目が合ったことに気がつくと、各務は慌てたように顔をそらして「降りるぞ」と言った。
日の暮れかけた空の下、二人はぎくしゃくとした雰囲気で車を降りた。





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あなたの隣氷中花 枯れない花星に願いを Sugar×2太陽が笑ってる


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