氷中花
23


「美味しい」

思わず出た唯の言葉に口元をやや綻ばせた各務は、その手をワイングラスに伸ばした。

「こっちも試してみろ。今日は特別だ」

各務の言葉に唯もグラスを手に取る。
銘柄を聞いても唯にわかるわけもなかったが、
一口含んだその香りと余韻の深さは食事同様唯を酔わせてくれた。
山の中にある隠れ家のようなレストランだが内装も訪れる客も一流の空気を持っていた。
完全な個室ではないがテーブルとテーブルの間を遮るデザインで、
客同士のプライベートも護られていた。
唯は場違いな感じを抱きながらも雰囲気の良さと料理にうっとりしていた。

「お酒はよくわからないですけど、どれもとっても美味しいです」
「気に入ったようでよかった」

各務の機嫌も珍しくいいようだった。
もともとが冷血仮面などと言われるクールぶりなのでそれに比べては、というものだったが。

「・・・カズキさんは、ここにはよくくるんですか?」

また先生というと怒られるかなと学習した唯は名前で恐る恐る呼んでみる。

「いや、久しぶりだ」


唯と各務のぎこちない会話が酒の勢いもあってか周り始めた頃、
急に甲高い声が響いた。


「イツキ?!」

声のほうに振り返ると栗色の見事な長い巻き毛を揺らす美しい女性がこちらを驚いたように見ていた。
歳は二十歳前後だろうか。緋色のドレスをグラマラスな身に纏っている。
そしてその女性は振り返った唯を見ると顔を青ざめさせた。

「どうして・・・一美さんが?!だってあの人は」
「梨花!」

梨花と呼ばれた女性は各務の言葉にびくっとしたように固まった。
そして怯えたように各務のほうを見た。

「お前を呼んだ覚えはないが」

凍えるような各務の言葉に色白の顔をさらに青ざめさせると、
女性は「失礼」とそのまま自分の席へと戻っていった。


唯は混乱していた。
梨花という女性は各務を「イツキ」と呼んでいた。
各務一樹は「カズキ」ではなく「イツキ」と読むのか?
それではなぜ各務は自分に「カズキ」と呼ばせていたのだろう。

各務の周りの空気は先ほどまでの穏やかさを吹き飛ばしたブリザードのようで
とても聞ける雰囲気ではなかった。
無言になってしまった各務との食事を楽しめるはずもなく、
唯は食事がひと段落したところで「化粧室へ」と席をはずした。
各務は冷たい表情でうなずいただけだった。

内装に負けない化粧室は入ってすぐのところに休憩できるようなソファスペースがあった。
化粧直しをしてほっと一息ついたところに声がかかる。

「あなた・・・」

鏡越しに見えたのは先ほど梨花と呼ばれた女性だった。
唯は気後れしながらも振り返り、梨花を見上げた。
モデルのようなスタイルの梨花は長身で、
なおかつ10センチヒールを履いているようだった。
小柄な唯は大きく見上げた。
この身長なら長身の各務にちょうど釣りあいそうだった。

「お名前は?」
「斎藤唯です」
「そう・・。先ほどはごめんなさい。取り乱してしまって」

気の強そうな梨花が謝ったことに唯は驚いた。
てっきり喧嘩を売られるのかと思っていた。

「あの・・梨花さん?あなたとカズキさんは」

そこまで言ったところで梨花の顔色が急にまた青ざめた。
唯は言いかけて言葉を止めてしまう。

「あの・・?」
「唯さん、あなたも彼のことを”カズキさん”と呼ぶのね」

唯は先ほどの混乱が再び蘇った。

あなたも?

この口調では彼を”カズキさん”と呼ぶのは特別なことのようだ。
そして・・梨花が先ほど言いかけた”一美さん”というのが
おそらくもう一人彼をそう呼んでいた女性なのではないだろうか。

「彼の名前は”イツキ”さんなんですか?」

唯の言葉に梨花は青ざめたまま頷いた。

「各務一樹(カガミ イツキ)よ。私は彼の従姉妹の九条梨花です」

唯はいまさらながら各務のフルネームを知った。
学校内では「各務先生」「氷の王子」という呼び名しか聞くことはなかった。
吹雪くあのはじめての夜に名前で呼んでと言われ、
そのときに自分で「カズキ」と名乗っていたのはなんだろうと思った。
唯は胸に急に冷たい刃物で刺されたような痛みを感じた。



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あなたの隣氷中花 枯れない花星に願いを Sugar×2太陽が笑ってる


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