氷中花
26


目覚めたのは唯が先だった。
太い腕の中に包まれて丸くなっていたその身を微かに動かす。
各務は深い眠りの中にいるようだった。
規則的な寝息が静かな部屋で反復している。
起きる気配はない。
そっと腕の中から逃れ、ベッドを降りる。
窓の外は明るくなっていた。
腕時計を見ると時計の針は五時半を指している。
いつもよりは早すぎる起床時間だったが、環境を考えたら当然のようにも思えた。

落ち着いて辺りを見るとベッドの周りに二人のスーツが散乱していた。
唯は下着だけ身につけると、スーツを手に取り、隣の続き部屋に移った。
ここにクローゼットがあるのは昨日聞いていた。
中のものは好きに使っていいとの話だったので開けてみた。
使っていないハンガーがいくつかあったのでとりあえずスーツをかける。
もう遅いかもしれないが少しは皺にならないかもと思った。
中にかかっている服は女性用のものもあり、殆どタグがついたままだった。
先日連れて行かれたブティックのロゴの入った紙袋の中に個別包装された下着もあったので
いくつか見繕ってバスルームへ行く。

シャワーを浴びながらも唯はどこかぼんやりとしていた。
まだ頭がちゃんと働いていないのかもしれない。
温度を少しあげて早く頭をしっかりさせなければと思った。

和輝を忘れるために、近づく各務を利用しようと思っていた。
けれど、各務の側に自分は本当にいてもいいのか。
焦りに似た何かが唯の中に芽生え始めている。

学校内で人気の高い氷の王子の異名を持つ教師と冴えない一生徒の自分。
どうやら上流階級に属すると思われる各務と一般家庭に生まれた自分。
大人と子供くらい経験値の違いそうな各務と自分。
どう考えてもつりあいの取れていない二人だ。
間違っても恋していい相手とは思えなかった。
なのに・・彼に惹かれはじめている自分を気づかずにはいられなかった。
自分の向こうに別の女性を見る彼に嫉妬心を抱いてしまうほどに。

もう二度と恋はしないとあのときあんなにも誓ったのに。

自分の愚かさに自嘲するしかなかった。
これは一時の錯覚だよと誰かに言ってほしかった。
でも・・熱いシャワーの中で唯が想うのは各務の凍えるような眼差しだった。


(他の人を想う人に恋してもどうにもならないのに)


唯は和輝と姉の芽衣の結婚式を思い出していた。
また自分はあの時と同じ思いを味わうのだろうか。
各務と”一美さん”がいつか結ばれる日に常に怯えて暮らさなければいけないのだろうか。
そう思うとぞくりと寒気がはしった。

慌ててバスルームを出て、着替える。
各務のクローゼットにあった中ではわりとカジュアルなワンピースに袖を通す。
清楚なデザインのワンピースは唯に良く似合っていたが
それを喜ぶ余裕もいまの唯にはなかった。

各務とまだ向き合う自信がなくて、音をたてないようにして部屋を出た。
階段を降り、扉の開いていた部屋を覗くとそこから庭が見えた。
誰にも会わないという安心感から唯はそのまま庭に降りた。
少し冷静にならなくては、と唯は朝の冷たい空気の中深呼吸した。




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