氷中花
28


愛、というものが何か唯にはまだわからないと思った。
冬夜の震える指とせつなげな眼差しは唯の胸を苦しくさせたが
ただ混乱の中身動きをとれずにいた。
冬夜の指がそっと唯の顔の輪郭をなぞる。

「母は僕をいつも疎んじていたんですよ。優しい眼差しなど向けられたこともなかった」

唯は息をつめたまま冬夜を見る。
一樹よりも大人の男の人なのに、今はずいぶん幼く見えた。
パーティ会場ではきりっとして見えた線の細そうな容姿が今は弱さに変わって見えた。

「そんなに怯えたような目で見ないで」

唯の顎を人差し指で持ち上げる。
距離がさらに縮まり、今にも触れそうだ。

「あなたは、一樹よりも僕を選んでくれますか・・・」

唯の唇に触れそうな距離でそう言われ、唯は冬夜を拒むように両手で押した。

「唯」
「わ・・私は、あなたのお母さんじゃありません」

目上の人間と思っての遠慮もあったが冬夜の予測不可能な発言と行動に
唯は戸惑っている場合ではないだろうと悟った。

「わかっていますよ。ねえ、あなたも、一樹を選ぶんですか?僕よりも」

ぐいと唯の腕を掴む冬夜にさからえず唯は彼を仰ぎ見た。
泣きそうな表情は子供のようで、唯は対応に困ってしまう。

「あなたのお母さんは一美さんでしょう。お母さんに直接そう言ってみれば」
「いないんですよ」

唯の言葉に冬夜の目が冷たくなった。

「もういないんです。母は一樹とあいつの母親が殺してしまったんですから」

冬夜の現実離れした言葉に唯は彼が狂っているのではないかと本気で思った。
彼の眼はもう唯を見ていなかった。
強く抱きしめられた腕の中、必死にもがく唯だったが力が違いすぎた。
唯はぞくぞくと沸き起こる寒気になすすべがなかった。
気まずくても一樹の側にいればよかったと思ったが遅すぎた。

「あいつの大切なものを奪ってやりたいんですよ」

唯の唇を強引に奪おうとした冬夜に必死に抵抗しながら悲鳴が零れ落ちる。

「いや、カズキさん!」

唯の言葉に冬夜がふいに腕の力を抜いた。
そのすきに慌てて冬夜から離れる。
きつく抱きしめられた反動ではぁはぁと息をする唯の後ろから聞きなれた低い声が響いた。

「何をやっているんだ」

唯と冬夜の視線が動く。
そこには凍るような目をした各務一樹がいた。
後ろから唯を抱き寄せると冬夜に冷たい視線を浴びせる。

「俺の女だと言っただろう?なんのつもりだ」

冬夜の表情がはっとしたように幼いものから年相応のものに変わる。
急に現実にもどってきたようだった。
青ざめたまま冬夜は一樹を睨みつけた。

「その子も殺すつもりか」
「・・・あれは事故だ」

珍しく一樹の言葉がつまった。
唯は混乱の中二人を見ていることしかできない。
自分を抱き寄せるこの腕を信じていいのかすらわからず、立ち竦むばかりだ。

「そうだといいがな」

そういうと冬夜は二人を置いて庭から建物とは反対の方に歩いて行った。
おそらく駐車場に向かうのだろう。
霧雨が降ってきていた。
唯は肌寒さに身体を震わせた。
一樹が唯を見下ろす。ひどく沈んだ風情だ。

「中に入るぞ」
「はい」

唯は一樹に抱き寄せられたまま来た道を戻った。
胸の奥で嵐が沸き起こっているのを感じた。





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