氷中花
43


唯は受話器を手にとった。
かつて、登録してから何度もかけようとして躊躇い、
携帯電話の液晶画面に表示させるだけでドキドキした番号を押す。
すっかり暗記してしまっていた自分がおかしかった。
かけることなど一度もなかったのに。
今でも躊躇いがないわけではない。
だが唯は今どうしてもかけなければいけないだろうと思った。
あれからずっと胸騒ぎが続いている。

コール十回目でようやく出た相手は「はい」とだけ短く応えた。
電話越しの声は慣れていなくて、どきりとしてしまう。

「唯です。あの・・・」

名乗ったものの言葉が続かない。
どうして収骨をせずに帰ってしまったのか。この場にいないのか。
祖父にあんな言われ方をする何かがあったのか。
聞きたいことはたくさんあったはずなのに、いざ電話してみると
唯は何も言えなくなってしまった。

「ええと・・」
「唯・・・約束守れなくてごめんな」
「和輝さん?」

相手から突然そんな言葉が出たことに唯は戸惑ってしまう。
和輝と唯はたくさんの約束を交わした。
だからどれがと確認すべきだったのかもしれない。
だが、唯はあの雪の日の川での約束なんだろうと一方的に思った。
どうしていまさらとも思ってしまう。

「あれは、もういいんです」

和輝はあの日、約束した場所にこなかった。
そして自分は各務一樹と出会った。
唯にはそれが全てだった。

「一緒に、見たかったよ」

吐息と共に吐き出されるように出た和輝の言葉に唯は言葉が出ない。
それこそいまさらだ。
あの時何よりそれを望んでいたのは唯だったのを和輝も知らないわけではあるまい。

「おねえちゃんと、見たんでしょう?」

唯は涙が零れ落ちそうになるのを必死に耐えた。
姉の死を迎えたばかりなのにこの人は何を言うんだろうと思った。
和輝が芽衣を選ばなければ、最初から唯の相手をせずにいたら
唯と芽衣の姉妹はこんな形で死別することもなかったかもしれない。
そう思うと和輝を恨む気持ちすらわいてしまいそうだった。

「誰とも見ないよ、俺は。これまでも、これからも」

それだけ言うと和輝は唯の応えを待たずに電話を切ってしまった。
唯には和輝の気持ちも言動もわからなかった。
姉を選んで、そして結婚したはずなのに。
どうしていまさらあんなことを言い出したのかも。
どうして姉と見ていないなんて嘘を言ったのかも。

姉は唯に言ったのだ。
和輝の実家の側に流れる川とその川べりで見る初雪のジンクスを。
彼に初雪を見ながら教えてもらったんだと、嬉しそうに笑っていた。

『受験が終わったら一緒に散歩でもしよう』

そう和輝が唯に言ってくれたあの川に

(あの日二人で行ったんじゃないの?)

姉が嘘をつくとは思えなかった。
唯は和輝のことが信用できなくなっていた。
結局自分も姉も和輝に気持ちを弄ばれていたんだろうか。
そんな思いもよぎった。

部屋に戻ってからも食事はすすまず、
祖父母と別れ、家に両親と戻るまで唯は言葉少なに過ごした。
喪服を早く脱いでしまいたくて二階の自室にあがる。

入ってすぐに目についた。
机の上の英語のノート。
もう半年以上も前にどこかにいってしまったはずのものだった。
どうして、と唯はノートを手に取る。
中を開くとテキストからの写しや訳の脇に落書きがある。
落書きの大半はふざけて書いたものだったが。

唯の手が止まった。

(そうだ、このノートは・・・)

サブノートとして使われていたそれは唯のメモ帳代わりだった。
もともと勉強のまとめをするノートは別にあり、
よくミスをするものや質問したい項目などを抜き出したりするために作ったはずだ。
いつの間にか落書きだらけになっていたのでなくなっても困ることはなかったが
誰かに見られたらと思うと気になって唯はノートの紛失を忘れられなかった。
このノートには和輝への想いをコッソリ書いたこともあった。
失くすなんて考えたこともなかったから、気軽に持ち歩いていた。
和輝に家庭教師をしてもらう時間も。

「まさか」

唯は芽衣と和輝の部屋だった場所へ行った。
扉をノックしても返答がないのでそのまま開けた。
中には和輝はいなかった。
そして、和輝の持ち物の一切もなくなっていた。



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